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介護をゼロにする森のはなし
~The Story of MOO: Management of Our Oasis~

0、はじまりの静けさ
ある町の外れ。そこは、にぎわう中心部からも、活気ある交流の輪からも、少しだけ距離のある場所。
そこに、ひっそりと佇む建物がありました。看板も目立たず、窓の灯りもまばら。
けれど、その中には確かに、誰かの暮らしと、誰かの想いが息づいていました。
表には出ないけれど、「たすけて」とも、「来てください」とも叫べない声が、かすかにただよっていました。
誰かの痛み、誰かの疲れ、そして、誰かの孤独。
それは、今にも消えてしまいそうなほど小さな「気配」でしたが、たしかにそこに存在していました。
この物語は、その気配に、誰かが静かに耳を澄ませたところから始まります。
その“誰か”こそが、「モー」と呼ばれる存在。
モーは、目立つこともなく、声を荒げることもなく、
ただ、必要な場所に、必要なリズムで、そっと歩み寄っていくのです。
そこに、ひっそりと佇む建物がありました。看板も目立たず、窓の灯りもまばら。
けれど、その中には確かに、誰かの暮らしと、誰かの想いが息づいていました。
表には出ないけれど、「たすけて」とも、「来てください」とも叫べない声が、かすかにただよっていました。
誰かの痛み、誰かの疲れ、そして、誰かの孤独。
それは、今にも消えてしまいそうなほど小さな「気配」でしたが、たしかにそこに存在していました。
この物語は、その気配に、誰かが静かに耳を澄ませたところから始まります。
その“誰か”こそが、「モー」と呼ばれる存在。
モーは、目立つこともなく、声を荒げることもなく、
ただ、必要な場所に、必要なリズムで、そっと歩み寄っていくのです。

一、さけびのこえ
町のはしっこに、小さな“たねの家”がありました。
そこから、「たすけて!」という声が、遠くかすかに聞こえてくるようでした。
おじいさんとおばあさん、そして、毎日を何とかつないでいる職員さんたち。
その人たちが、全力で今日を生きていました。
けれど、その声は、誰の耳にも届きません。
まるで、叫んでも叫んでも、透明な壁に遮られるように。
疲れ果てた日常。限界ぎりぎりの業務。
「助けて」と言っても、誰も来ない。言わなくても、誰も気づかない。
それでも、“たねの家”は、声をあげ続けていたのです。
そこから、「たすけて!」という声が、遠くかすかに聞こえてくるようでした。
おじいさんとおばあさん、そして、毎日を何とかつないでいる職員さんたち。
その人たちが、全力で今日を生きていました。
けれど、その声は、誰の耳にも届きません。
まるで、叫んでも叫んでも、透明な壁に遮られるように。
疲れ果てた日常。限界ぎりぎりの業務。
「助けて」と言っても、誰も来ない。言わなくても、誰も気づかない。
それでも、“たねの家”は、声をあげ続けていたのです。

二、にげられない家
その“たねの家”の主人は、とてもやさしい人でした。
若い頃は誰よりも熱心に現場に立ち、みんなの相談に耳を傾け、地域にも親しまれていた人です。
でも年を重ね、体力も判断力も少しずつ衰え、
いつしか現場の中心からは一歩引いた立場になっていました。
「もう、わしにはむりじゃ……でも、この家を手放すのもいやじゃ」
その想いは、矛盾するようでいて、痛いほどリアルなものでした。
まわりからは「売ったらどうか」「誰かに譲ったら」と言われても、
この“たねの家”には、思い出も、汗も、仲間の記憶もつまっている。
ほんとうは引退して、次の誰かに任せたい。
でも、任せられる人がいない。育てられなかった。手を挙げる人もいない。
「だれか、やってくれないかな……」
心のどこかで、そんな願いを抱きつつも、責任を手放す勇気も、託す準備も整っていなかった。
気がつけば、ひとりで抱え込み、にっちもさっちもいかなくなっていたのです。
若い頃は誰よりも熱心に現場に立ち、みんなの相談に耳を傾け、地域にも親しまれていた人です。
でも年を重ね、体力も判断力も少しずつ衰え、
いつしか現場の中心からは一歩引いた立場になっていました。
「もう、わしにはむりじゃ……でも、この家を手放すのもいやじゃ」
その想いは、矛盾するようでいて、痛いほどリアルなものでした。
まわりからは「売ったらどうか」「誰かに譲ったら」と言われても、
この“たねの家”には、思い出も、汗も、仲間の記憶もつまっている。
ほんとうは引退して、次の誰かに任せたい。
でも、任せられる人がいない。育てられなかった。手を挙げる人もいない。
「だれか、やってくれないかな……」
心のどこかで、そんな願いを抱きつつも、責任を手放す勇気も、託す準備も整っていなかった。
気がつけば、ひとりで抱え込み、にっちもさっちもいかなくなっていたのです。

三、モーがきた
ある日、不思議な使者が、“たねの家”の前にひょっこりと現れました。
姿は小さく、名前を聞いても「モー」としか答えません。
名前は、MOO(モー)。どこから来たのか、何者なのか、誰もわかりません。
でも、その瞳は、まるで深い湖のように静かで、そして力強く輝いていました。
モーは、なにも押しつけませんでした。
「何をすればいいか」ではなく、「どうしたいか」を聞こうとしました。
そのやさしい声に、主人も、職員も、ふと肩の力が抜けました。
モーは静かに言いました。
「そのままで、だいじょうぶ。
ここから、一緒に、この“たねの家”に根をはって、育てていこう。」
モーが来たことで、家の中にふわりと風が吹き、
それまで動かなかった空気が、ゆっくりと動き出したのです。
姿は小さく、名前を聞いても「モー」としか答えません。
名前は、MOO(モー)。どこから来たのか、何者なのか、誰もわかりません。
でも、その瞳は、まるで深い湖のように静かで、そして力強く輝いていました。
モーは、なにも押しつけませんでした。
「何をすればいいか」ではなく、「どうしたいか」を聞こうとしました。
そのやさしい声に、主人も、職員も、ふと肩の力が抜けました。
モーは静かに言いました。
「そのままで、だいじょうぶ。
ここから、一緒に、この“たねの家”に根をはって、育てていこう。」
モーが来たことで、家の中にふわりと風が吹き、
それまで動かなかった空気が、ゆっくりと動き出したのです。

四、いれかえず、そだてる
モーは、すべてを壊すことはしませんでした。
「ここがダメだ」「変えなくては」という態度ではなく、
今あるものの中にある“よい芽”を探すように、そっと見守っていたのです。
職員たちの会話に耳を傾け、
日々の業務の中にある“希望の種”を見つけることから始めました。
話し合いの時間をつくり、
ひとつひとつの仕事の意味を言葉にすることで、
見えていなかった“役割”や“強み”が浮かびあがってきました。
それでも、中には“合わない役割”や“信頼を損なう要因”もありました。
モーは、それを責めることなく、そっと外に出す決断をしました。
「これまでのやり方を否定するのではなく、
“今の自分たち”に合った方法を見つけよう」
そんな雰囲気が、“たねの家”に広がっていきました。
「こんなこと、考えたことなかった……」
みんなの顔が、少しずつ、でも確実に、明るくなっていきました。
「ここがダメだ」「変えなくては」という態度ではなく、
今あるものの中にある“よい芽”を探すように、そっと見守っていたのです。
職員たちの会話に耳を傾け、
日々の業務の中にある“希望の種”を見つけることから始めました。
話し合いの時間をつくり、
ひとつひとつの仕事の意味を言葉にすることで、
見えていなかった“役割”や“強み”が浮かびあがってきました。
それでも、中には“合わない役割”や“信頼を損なう要因”もありました。
モーは、それを責めることなく、そっと外に出す決断をしました。
「これまでのやり方を否定するのではなく、
“今の自分たち”に合った方法を見つけよう」
そんな雰囲気が、“たねの家”に広がっていきました。
「こんなこと、考えたことなかった……」
みんなの顔が、少しずつ、でも確実に、明るくなっていきました。

五、まなびの木
ある日、一人の職員がぽつりとつぶやきました。
「この“たねの家”を、自分が守っていきたい」
それは、小さなつぶやきでしたが、部屋中の空気が、ぴんと張り詰めました。
その瞬間、モーはにっこりと微笑み、そっと頷きました。
そして、評価のしかた、職員間のコミュニケーション、
お金のながれ、計画のたてかた――
モーはそれらを、絵本を読むように、やさしく丁寧に伝えていきました。
ただ知識を教えるのではなく、
「何のために?」という問いを大切にする時間が重ねられていきました。
やがて、“たねの家”の真ん中に、
一本の“まなびの木”が、にょきにょきと育ちはじめました。
それは、知識だけでなく、心のつながりと、意思を持った行動の象徴でもありました。
「この“たねの家”を、自分が守っていきたい」
それは、小さなつぶやきでしたが、部屋中の空気が、ぴんと張り詰めました。
その瞬間、モーはにっこりと微笑み、そっと頷きました。
そして、評価のしかた、職員間のコミュニケーション、
お金のながれ、計画のたてかた――
モーはそれらを、絵本を読むように、やさしく丁寧に伝えていきました。
ただ知識を教えるのではなく、
「何のために?」という問いを大切にする時間が重ねられていきました。
やがて、“たねの家”の真ん中に、
一本の“まなびの木”が、にょきにょきと育ちはじめました。
それは、知識だけでなく、心のつながりと、意思を持った行動の象徴でもありました。

六、もりはつながる
モーは、となりの“たねの家”にも歩いて行きました。
そこでも、静かに悩む人たちの気配がありました。
相談できる相手がいない。変えたいのに、変える力がない。
その閉じられた空気を、モーは黙って受けとめました。
モーは、まず土を耕しました。
関係という名の土。信頼という水。言葉という光。
それらを与えながら、やさしく種を蒔いていきました。
はじめは戸惑っていた人たちも、
やがて「声にしてもいいのだ」と気づいていきました。
意見を出すことが責められない。失敗が咎められない。
その空気が、じわじわと根を張っていきました。
そうして、いくつもの“たねの家”が、
それぞれの中に“まなびの木”を育てはじめ、
いつしか、それぞれの根っこが地下でつながり始めていたのです。
森のように。静かに。そして力強く。
町全体に、“つながり”の芽が広がり始めました。
そこでも、静かに悩む人たちの気配がありました。
相談できる相手がいない。変えたいのに、変える力がない。
その閉じられた空気を、モーは黙って受けとめました。
モーは、まず土を耕しました。
関係という名の土。信頼という水。言葉という光。
それらを与えながら、やさしく種を蒔いていきました。
はじめは戸惑っていた人たちも、
やがて「声にしてもいいのだ」と気づいていきました。
意見を出すことが責められない。失敗が咎められない。
その空気が、じわじわと根を張っていきました。
そうして、いくつもの“たねの家”が、
それぞれの中に“まなびの木”を育てはじめ、
いつしか、それぞれの根っこが地下でつながり始めていたのです。
森のように。静かに。そして力強く。
町全体に、“つながり”の芽が広がり始めました。

七、じりつの実がなる
時間が経つにつれて、“たねの家”では、
モーがいなくても回るような仕組みが、少しずつ育っていきました。
モーは徐々に一歩引き、
あとは職員たち自身が、手探りでも前に進んでいけるよう見守りました。
職員たちは、自分たちで会議を開き、話し合い、
改善を重ねながら、動き、笑い、そして支え合っていきました。
そんななか、“まなびの木”には、小さな実がぽつんぽつんと実りはじめました。
それが“じりつの実”。
それは、自分たちの意志と工夫と対話で、道をつくっていけるという証でした。
利用者さんからは、
「安心して暮らせる」「ここが好き」といった声が自然と聞かれるようになり、
その言葉を聞いた家族の表情にも、笑顔が増えていきました。
森のなかには、
「なんとかなる」ではなく、「ここで働きたい」「ここで暮らしたい」という前向きな言葉が、
静かに、そして力強く、広がっていきました。
モーがいなくても回るような仕組みが、少しずつ育っていきました。
モーは徐々に一歩引き、
あとは職員たち自身が、手探りでも前に進んでいけるよう見守りました。
職員たちは、自分たちで会議を開き、話し合い、
改善を重ねながら、動き、笑い、そして支え合っていきました。
そんななか、“まなびの木”には、小さな実がぽつんぽつんと実りはじめました。
それが“じりつの実”。
それは、自分たちの意志と工夫と対話で、道をつくっていけるという証でした。
利用者さんからは、
「安心して暮らせる」「ここが好き」といった声が自然と聞かれるようになり、
その言葉を聞いた家族の表情にも、笑顔が増えていきました。
森のなかには、
「なんとかなる」ではなく、「ここで働きたい」「ここで暮らしたい」という前向きな言葉が、
静かに、そして力強く、広がっていきました。

八、たすけをよばない森
不思議なことに、あの「たすけて!」という声は、
もうどこからも聞こえなくなっていました。
誰かが倒れる前に、誰かが気づいていたり。
声をあげる前に、隣の誰かが手を差し出していたり。
そんな風に、自然と支え合う風景が、日常になっていました。
「支援」や「ケア」という言葉を、意識しなくても済むほど、
そこにいる誰もが、「居てくれる」ことが力になっていたのです。
モーがつくったのは、
“声をあげなくても、自然に支え合える森”。
それは、制度やマニュアルを超えた「文化」でした。
そして、その森では、何かがあっても「誰のせい?」とはならず、
「どうやって支えようか?」が、最初の問いになっていました。
そんな変化は、目に見えにくくても、
確かに根を張り、広がっていたのです。
もうどこからも聞こえなくなっていました。
誰かが倒れる前に、誰かが気づいていたり。
声をあげる前に、隣の誰かが手を差し出していたり。
そんな風に、自然と支え合う風景が、日常になっていました。
「支援」や「ケア」という言葉を、意識しなくても済むほど、
そこにいる誰もが、「居てくれる」ことが力になっていたのです。
モーがつくったのは、
“声をあげなくても、自然に支え合える森”。
それは、制度やマニュアルを超えた「文化」でした。
そして、その森では、何かがあっても「誰のせい?」とはならず、
「どうやって支えようか?」が、最初の問いになっていました。
そんな変化は、目に見えにくくても、
確かに根を張り、広がっていたのです。

九、かいごをしらない子どもたち
やがて、その森で育つ子どもたちは、
「かいごって、なに?」と首をかしげるようになりました。
お年寄りが暮らしているのは当たり前。
誰かが手伝ったり、おしゃべりしたり、ごはんを作ったり。
それも、ただの日常のひとコマにすぎません。
誰かが誰かのそばにいる。
それが“仕事”でも、“ボランティア”でもなく、
「ここにいる人として、自然なこと」になっていたのです。
モーの本当のねがいは、
「介護が“課題”じゃない社会」。
それは、特別な誰かが特別なことをするのではなく、
みんなが“ふつうに”支え合う世界。
そこでは、支えることも、支えられることも、
誇りでもなく、恥でもなく、
ただ、あたりまえの毎日になっていました。
「かいごって、なに?」と首をかしげるようになりました。
お年寄りが暮らしているのは当たり前。
誰かが手伝ったり、おしゃべりしたり、ごはんを作ったり。
それも、ただの日常のひとコマにすぎません。
誰かが誰かのそばにいる。
それが“仕事”でも、“ボランティア”でもなく、
「ここにいる人として、自然なこと」になっていたのです。
モーの本当のねがいは、
「介護が“課題”じゃない社会」。
それは、特別な誰かが特別なことをするのではなく、
みんなが“ふつうに”支え合う世界。
そこでは、支えることも、支えられることも、
誇りでもなく、恥でもなく、
ただ、あたりまえの毎日になっていました。

十、わたしたちが、森
いつの間にか、モーの姿は見えなくなっていました。
でも、不思議と、誰もそのことを心配しませんでした。
だって、モーが残していったのは、「木」や「建物」ではなく、
“人の間に生まれたつながり”だったからです。
どの“たねの家”にも、“まなびの木”はしっかりと根を張り、
人と人がつながる“関係の土壌”は、豊かに育っていました。
「この森は、だれがつくったの?」
そんな問いをする人も、もういませんでした。
なぜなら、それぞれが思っていたからです。
「わたしがつくった」「わたしたちが育てた」と。
森とは、だれか一人が植えたものではなく、
多くの人が、手をかけ、気づき、動いてきた日々の積み重ね。
だからこそ、こう呼ぶのです。
――「わたしたち自身が、森だから」。
でも、不思議と、誰もそのことを心配しませんでした。
だって、モーが残していったのは、「木」や「建物」ではなく、
“人の間に生まれたつながり”だったからです。
どの“たねの家”にも、“まなびの木”はしっかりと根を張り、
人と人がつながる“関係の土壌”は、豊かに育っていました。
「この森は、だれがつくったの?」
そんな問いをする人も、もういませんでした。
なぜなら、それぞれが思っていたからです。
「わたしがつくった」「わたしたちが育てた」と。
森とは、だれか一人が植えたものではなく、
多くの人が、手をかけ、気づき、動いてきた日々の積み重ね。
だからこそ、こう呼ぶのです。
――「わたしたち自身が、森だから」。

最後に、あなたへ
これは、モーという存在を通して描かれた物語。
でも、本当に伝えたいのは、モーのことではありません。
わたしたち一人ひとりが、
誰かの「たすけて」に気づき、
仕組みを整え、関係を耕す“モー”になれるということ。
介護をゼロにするというのは、
誰もが「介護される人」や「する人」になることを恐れずに、
ともに暮らす社会をつくること。
それは、特別な技術や制度で叶うものではなく、
日々の気づきと対話、そして小さな決断の積み重ねから生まれます。
森は、どこかにあるものではなく、
あなたのそばにある「人」と「つながり」から、育っていきます。
どうか今日から、“森をつくる人”として歩みはじめてください。
誰かの「根っこ」となり、未来の「土壌」となれるのは、
あなたしかいないのです。
でも、本当に伝えたいのは、モーのことではありません。
わたしたち一人ひとりが、
誰かの「たすけて」に気づき、
仕組みを整え、関係を耕す“モー”になれるということ。
介護をゼロにするというのは、
誰もが「介護される人」や「する人」になることを恐れずに、
ともに暮らす社会をつくること。
それは、特別な技術や制度で叶うものではなく、
日々の気づきと対話、そして小さな決断の積み重ねから生まれます。
森は、どこかにあるものではなく、
あなたのそばにある「人」と「つながり」から、育っていきます。
どうか今日から、“森をつくる人”として歩みはじめてください。
誰かの「根っこ」となり、未来の「土壌」となれるのは、
あなたしかいないのです。

モーの”正体”
いつも現場に風を通し、
誰にも気づかれずに歯車を整えるあの存在。
命令せずに、動かす。
姿は見えないのに、森が育つ。
その「モー」って、一体なに者?
次に語られるのは──モーの正体。
誰にも気づかれずに歯車を整えるあの存在。
命令せずに、動かす。
姿は見えないのに、森が育つ。
その「モー」って、一体なに者?
次に語られるのは──モーの正体。
『たすけて』が聞こえたら、モーは行く。
~The Story of MOO: The Story of a Gentle Right Hand

0、こえにならない声
ある町のすみっこで、 だれにも気づかれない声が、、、
「つかれたよ」
「どうして、うまくいかないんだろう」
「もう、がんばれないかもしれない……」
でも、それをちゃんと言える人は、ひとりもいませんでした。
なにが正解か、わからない。
だれに助けを求めたらいいのか、わからない。
みんなが“ちゃんとしなきゃ”って思っていて、
ほんとうの気持ちを、ぐっと胸の奥にしまいこんでいました。
そんな町に、ある日、とてもふしぎな「気配」がふわっと生まれました。
牛のような、ひとのような、でも、どちらでもない。
しずかに風のようにあらわれて、
だれにも気づかれないように、ただ、そこに“いる”。
その名前は──モー。
「つかれたよ」
「どうして、うまくいかないんだろう」
「もう、がんばれないかもしれない……」
でも、それをちゃんと言える人は、ひとりもいませんでした。
なにが正解か、わからない。
だれに助けを求めたらいいのか、わからない。
みんなが“ちゃんとしなきゃ”って思っていて、
ほんとうの気持ちを、ぐっと胸の奥にしまいこんでいました。
そんな町に、ある日、とてもふしぎな「気配」がふわっと生まれました。
牛のような、ひとのような、でも、どちらでもない。
しずかに風のようにあらわれて、
だれにも気づかれないように、ただ、そこに“いる”。
その名前は──モー。

一、モーって、だれ?
こんにちは。ぼくの名前は、モー。
ちょっと変わった名前だって? うん、よく言われるよ。
でも、ぼくはただの牛じゃない。
もちろん、人間でもない。
本名は「MOO」。
Management Operation Officer──
ちょっとむずかしいけど、かんたんに言えば、
**「大切な場所が壊れそうなとき、そっと立て直すために生まれた“右うで”」**なんだ。
ちょっと変わった名前だって? うん、よく言われるよ。
でも、ぼくはただの牛じゃない。
もちろん、人間でもない。
本名は「MOO」。
Management Operation Officer──
ちょっとむずかしいけど、かんたんに言えば、
**「大切な場所が壊れそうなとき、そっと立て直すために生まれた“右うで”」**なんだ。

二、ぼくのしごとは、命令じゃない
ぼくのしごとは、命令することじゃない。
押しつけたり、叱ったりすることでもない。
「どうやったらできるようになるか?」
それを一緒に考えて、できるようになるまで伴走する。
誰かの代わりになるんじゃなくて、
“仕組み”を整えて、誰かが主役になれるようにすることが、
ぼくの役目なんだ。
押しつけたり、叱ったりすることでもない。
「どうやったらできるようになるか?」
それを一緒に考えて、できるようになるまで伴走する。
誰かの代わりになるんじゃなくて、
“仕組み”を整えて、誰かが主役になれるようにすることが、
ぼくの役目なんだ。

三、ほんとうのマネジメントって?
忙しすぎるリーダーには、時間の使い方を一緒に組み直す。
困っている職員には、言葉のかけ方や、チームとのつながり方を練習する。
うまく回らない現場には、順番やルールを整えて、仕組みに変えていく。
それが、ぼくの「マネジメント」。
やらせるんじゃない。“やれるようにする”のが、ぼくの得意技。
困っている職員には、言葉のかけ方や、チームとのつながり方を練習する。
うまく回らない現場には、順番やルールを整えて、仕組みに変えていく。
それが、ぼくの「マネジメント」。
やらせるんじゃない。“やれるようにする”のが、ぼくの得意技。

四、森を育てた仲間たち
ぼくがいる「ttt」っていうチームの話をしようか。
たった一つの小さな施設からはじまって、
今では19の施設、1,000床、職員も700名を超える森になった。
採用も、運営も、請求も、監査も、資金集めも──
ぜんぶ自分たちでやってきたんだ。
でも、いちばんたいせつなのは、
「自分ができる」じゃなくて、「誰かができるようになる」こと。
そうやって育ててきた森なんだ。
たった一つの小さな施設からはじまって、
今では19の施設、1,000床、職員も700名を超える森になった。
採用も、運営も、請求も、監査も、資金集めも──
ぜんぶ自分たちでやってきたんだ。
でも、いちばんたいせつなのは、
「自分ができる」じゃなくて、「誰かができるようになる」こと。
そうやって育ててきた森なんだ。

五、モーって、いったいなにもの?
どこかの現場で「もうダメかも…」って声が聞こえたら、
ぼくはまた、そっと現れる。
壊れそうな歯車を直し、新しい仕組みを組み、
人が育ち、笑顔が残る──
そんな“あと”の姿が、ぼくが目指すもの。
ぼくはまた、そっと現れる。
壊れそうな歯車を直し、新しい仕組みを組み、
人が育ち、笑顔が残る──
そんな“あと”の姿が、ぼくが目指すもの。

六、モーのいない未来こそ、ゴール
ぼくがいなくても、仕組みでまわる。
人が育っていく。笑っている人が増えていく。
それが、ぼくのゴール。
だから、ぼくの名前なんて、忘れてくれていい。
「モーって、なんだったっけ?」って言われるくらいがちょうどいい。
でもね。もしまた、どこかで「たすけて」の声が聞こえたら……
ぼくはまた行くよ。
新しい“森”をつくるためにね。
人が育っていく。笑っている人が増えていく。
それが、ぼくのゴール。
だから、ぼくの名前なんて、忘れてくれていい。
「モーって、なんだったっけ?」って言われるくらいがちょうどいい。
でもね。もしまた、どこかで「たすけて」の声が聞こえたら……
ぼくはまた行くよ。
新しい“森”をつくるためにね。

